たかぎしおりです。
今月で福島をはなれ、地元の栃木に引っ越します。
いや〜福島には5年間住んだので、正直さみしいです。がしかし自分のために、離れます。
「はぁあ?協力隊で3年も税金もらっといて結局出てくとかなにコイツ?」って思う人もいるかもしれませんね。
残念なことにこのまま読み進めたら、さらに胸クソ悪くなる内容もあります。だからここで回れ右しましょう!そしてサッサと忘れて下さい。
逆に
- え、ぶっちゃけなんで?
- 仕事どうすんの
- つーか何になりたいの?
って気になる方は、このまま読みすすめていただければ…!
うそはつかずに書きました。ネガティブな話も出てきます。ディスるつもりは無いけど、傷つく人がいたら申し訳ない。先に謝っとく。
でも、福島の移住や協力隊の受入のお仕事してる人に、何かしらの参考になれたら…と思って書きます。厚かましいのは承知の上で!
それじゃあ始めるよ〜。
5年前、東京から移住した

このナルシストな写真は、アイキャッチ画像のおじさんが撮ってくれました。
さて。本題に入る前にさっくり移住の経緯をまとめます。
わたし、農家になろうと思ってたんですよ〜…….(遠い目)
死ぬまで「耕せる女」を目指してやってきました。(いざ移住したらそんな女がたくさんいた)
当時26歳、東京でNPOの職員として働いてました。
控えめに言って病みまくってました。
生き方、働き方に迷い、人生停滞モード。
終電で帰ってアパートに着くなり、涙が止まらない。夜中でもおかまいなし電話し、誰かに話を聞いてもらう…….そんな生活が1年くらい続きました。
(あの時はマジごめん皆さん)
「これはやばい」「マジでやばい」
状況でした。
その時、考えていたのは、
- このまま東京で死ぬのはやだなー
- なにかを作れる人になりたいな
- 震災後の福島に興味がある
- そうだ、農業なら食べる物に困らないだろう
- それに生活費が安いだろうから貯金できるよね!
ま…安易
…..だけど、そんなノリで移住を決めました。
ちなみに今はこうして理由をまとめられるけど、当時はただただ早く移住を体験したかった。
(移住に必要なものは、200%勢いだな)
住んでみたら理想は1ヵ月で叶ってしまった

で、田舎で生活を始めたらどうだったか?
正直、理想はあっという間に叶いました。
例えば
- 自分で食べるものは、自分で作りたいな
- 空き家をDIYして、ステキ空間に変身させるぞ!
- ゆっくり丁寧な暮らしをしたい…….
多くの人がそんな理想の生活を描いて移住すると思うんですよね。
大丈夫!!
その夢は1ヵ月、いや下手したら1週間で叶うから安心してくれ
感覚的には、秒で夢が叶った。
叶ってしまった。
正直とまどいました。
さらに追い討ちをかける?ように、ある事実が判明しました。
「あ…家庭菜園レベルで満足できそう…」
気付いてしまったんですね。農業は仕事にしたいわけじゃなかったと。
さあ、どうしよう……..。
どうやら農家の適正はなさそうだし、移住して早々シフトチェンジが必要なことが分かった。
結果、文章やイラストの仕事に落ち着きました。
昔から続けてきた仕事とあまり変わらねえ……。ま、でも
自然が豊かな田舎で、在宅ワークでできるこの仕事は自分に合ってるなと思います。
福島から出ようと思った5つの理由

前置きが長い!早く本題へうつりましょう。
なぜ出てくのか。主な理由は5つあって、
- 震災後の「ふくしま」に住み続ける覚悟がない
- 低賃金、重労働…ガマンに慣れすぎた文化
- 気候が体に合わなかった
- 空き家の管理は想像以上にハード
- 結論、長く住むイメージがもてなかった
1つずつ補足していきますね。
1 震災後の「ふくしま」に住み続ける覚悟がない

「震災後の福島に興味がある」といった割にショボい落ちですが…
これが5年住んでみての正直な感想です。
具体的には、
- フレコンバックの山を毎日見るのは、ふつうにしんどい
- 放射能の影響で食べてはいけない物、入れない場所など制限がある
- 放射能のことが頭から離れる日はほぼない
- 震災、放射能、原発…考えたところで答えなんてない
そういう状況だって、理解した上で移住したはず。
でも少しずつ現実が見えて、少しずつしんどくなってきました。
それから……言葉が悪いけど
なんとなく「震災を言いわけに思考がストップしてる」シーンも見かけて。誰かのせいにするのは楽だから。でも、現状がうまくいかないのは「震災のせい」なの?そんな場面に遭遇して、何もできない自分が歯がゆくて。滅入ってきました。
もちろん、私ごときが震災やら復興を語る資格あんのか?っていうと多分ない気がする。当事者の苦しさは計り知れない。よそ者が土足で踏み込んではいけない所もある。
そして、この先に起こることは誰も予想できないし、結局は自分の責任。そして自己責任なら、私は「別の場所に住みたい」と思いました。
2 低賃金、重労働…ガマンに慣れすぎた文化

これも抽象的な話だけど、
- お金をもらうことへの抵抗感がある
- でもある程度の収入がないと「半人前」認定するナゾ文化
- 無償労働や自己犠牲を「美徳」にし、正当化
- そんな文化を下の世代に引き継ごうとしてることが問題では…?
私が地域おこし協力隊として活動していた時、耳タコになるほど言われたのは「高給取りでいいね」ってことでした。月16日しか働かなくて16万もらえる、と。
もちろんいろんな意見があっていいと思う。財源は税金だし意見する権利はあるよね。
でも、毎日ほんとに一緒に仕事をしてて頼りにしてた人に「高給取り」って言われた時はショックで何も言えなかった。「わたし16万分も仕事もできてない?」って悲しくなった。
少しクールダウンして考えてみよう。
額面16万の給料から税金引かれたら手取りが13万。家賃の補助2万、ガソリン代5千~1万のサポートも含めると、月収は15〜16万くらい。
15万で3年間、地域の予定を最優先に過ごしてきた。仕事の内容は「地域を活性化させる」という壮大なもの。ぶっちゃけ、長年地域に住み続けた人たちがどうにもできなかった課題に挑むわけだ。
その対価が15万。これって本当に高いのか。「高級取り」といえるのか。
「オレたちだって我慢してきたんだ 」っていう圧
でもこれは「高給取り」って言う人が悪いわけじゃない。
日本ではお金について学ぶ機会が少ないことや、低賃金で労働者が買い叩かれてきた歴史とか、社会がのしくみがそうさせてる。
いくら稼ぎたいかなんて、本人次第だから自分で決めればいい。ただ、苦労や我慢が当たり前の世界は、自分が住み続けたい場所じゃなかった。
「これぐらい安くて当然」ってみんなが思ってたら、いつまでたっても安いまま。
そういう文化は、下の世代にも自然と伝わっていく。
「仕事は辛くて当然」「苦労しろ」「私たちはそうしてきたんだから」
そんなやり取りを何度したか。正直、我慢することに慣れすぎじゃない?って思った。「仕事や人生は、自分で変えられるよ」って、私は次の世代に伝えたいな…..。
お金は、相手が喜んでくれた証
私も個人で仕事をもらうようになり、「こんなお金もらっていいのかな?」と戸惑う時もあった。
でも今は、お金は「相手が喜んでくれた証拠」と思って仕事してる。
対価は、相手を助けられた証みたいなもの。だから、もらうべきだなって思うよ。
3 気候が体に合わなかった

この件については、こちらの記事を参照してください。
冬が長くて寒いんです。暑さはガマンできても、寒さは耐えられませんでした。
「年とっても、住み続けられないな…」と思う、決定的なポイントだったかもしれません。
4 空き家の管理は想像以上にハード

いや、これ福島と関係ないな!
私が甘かっただけです。
己が望んだ苦労で、実際に苦労してみたら「こりゃMURIDA」となっただけ。
アパートが少なく、空き家が豊富な地域に越してきたので、私も当然のように一軒家を借りることに。26歳で思いがけず一国一城の主になりました。
広い家は部屋の使い分けもできて便利です。しかも修繕費は予算を工面してくれて、自己負担はたぶん50万もいかないはず…。
家賃は3年間サポートしてもらい、その後も格安でお借りしてました。ありがとう…とても快適空間で在宅ワークができています。ありがたみ。
ただ、空き家管理はマジ労力がいります…。
たとえば、
- 屋根が劣化して、雨もりが!→ペンキの塗り直しで20〜30万
- マイナス12度でシャワー崩壊 → 交換で5万円 (大家さんが負担してくれた)
- 寒過ぎてストーブ4台購入
- 梅雨時はいたるところでカビとの戦い
- 区費は年間12,000円、祭りの寄付が5,000円 (これはしょうがないかな)
- 毎日そうじしても、汚れはたまってく(それストレス)
死ぬほど当たり前なことをくり返すけど一軒家を、しかも2〜3年人が住んでなかった空き家を快適に変えてくなんて、途方もなさすぎる。
単純に部屋数が5〜6あって管理する面積が広いんだもの。
だからいつも「….家の仕事が終わらない…」と感じる。
ただやっぱり空き家をリノベして暮らすのって、楽しいし、それが移住の目的の人も多いはず。希望してるなら、空き家に住めばいいと思う。
けど、トータルの労力を知っとけ?と切に思う。
「マジ、空き家に住むならこれくらいの苦労は覚悟しとけよオマエら!BOOK」とか発行したらどうですかね?
5 結論、長く住むイメージがもてなかった

大切な仲間もできたし、仕事もあるし、快適な生活ができている。
田舎暮らしの不便さは、生きる覚悟みたいなものを与えてくれた。
つまり成長できた。
いい場所だなあ…..と思う。
それでも私はここを離れる。なぜか?
「この暮らしを、あと何年続けてく?」
「たとえば、40歳になってもここにいたい?」
と自分に問いかけた時、残念ながら答えがノーだった。
「ここで根を張って生きていこう」と思って来たけど、私はここに根をはれなかった。残念かもしれない。
でも、やっと答えが出てスッキリしています。
「一緒にいたい」と思える人が、見つかった

今年の2月、「田舎フリーランス養成講座(通称いなフリ)」に参加しました。
新しい仲間ができた。人生の転換点だったなと思います。福島の人たちが魅力的なように、いなフリで出会った人たちもとても魅力的でした。
シンプルに「この人たちと、いつか何かできたらな…」と思いました。
いきなり一緒に仕事をする機会がなくても、近づきたいな、つながりを持てたら…と思えた。
今の自分に合う場所へ
「いや引越し先が栃木って、隣やん!」
「しんみりするには近すぎる」
「ん? だったら千葉に移住した方がよくない?」
って方、本当そうだよね。 私もそう思います…(苦笑)
栃木を選んだ理由は、今の自分には条件が合ってたからです。千葉のいすみにも出やすくなるし、一歩近づいた感じがする……。
もともと土地にこだわりがなく、「地元のために何かしたい」という気持ちも特にない。「栃木のために!!!」とか、ないかも…。栃木は栃木でがんばってくれ。これはホントに残念だな……。
あとちょうど実家がリフォームし、家族も「次の生活が軌道に乗るまで、住めばいいんじゃない?」と言ってくれたので。パラサイトします。生活費をギリギリまで下げて、お金貯めますね。半年〜1年で一人暮らしに戻るのが目標です…。
栃木でも新しく知り合いができたので、これまた楽しみ。
新しい出会いが引っ越す勇気をくれたな、と思います。
まだまだ書きたいことがあるのですが、今日はここまで!
6/8追記
さて、続きです。
月15万稼いで暖かい所に行きたい

よ〜く聞かれる質問に、
「あなたは結局、何になりたいの?」
が、あります。
たしかに!
それは自分でも知りたい……(笑)
ちょっと真面目に答えると、自分のままでいることが目標です。
自分を変えたくないんですよね……だから、変化し続けるしかない。
変わりたくないから変わり続ける、それが答え…です。
そしてもう冬は日本にいたくないです。
寒いから厚着したり、温めたり…って作業をもうしたくない。(灯油の買い出しとか、エアコンで乾燥とか、もうやだ……)
だから12〜3月くらいは暖かい国に行く計画です。
お金も貯めながら生活費を稼ぐには、15万もあればやってけるのかなと思ってます。
それが当面の目標!
どうですか?ふわっとしてるよね……(笑)
福島の人に伝えたいこと

お世話になった人に挨拶していると、後ろ髪を引かれまくってます。
「どうして?やっと慣れてきたのに……」
「仕事だって、落ち着いてるでしょ?」
たしかに…自分でも「今の生活、わるくないよな」と思います。
とてもさみしい
特に最近は、新緑もきれいで、とても過ごしやすい季節。
毎日散歩をしてるんだけど、「ここ最高だな」と感じます。
ちょっとキモい話になるけど、その辺に咲く花すら愛しくなってます。
お花 「さようなら史織ちゃん….」
わたし「そんな…そんなに寂しがらないで。また会いに来るから…!!!」
ってやりとりを妄想してしまうほど。
これはマジキモい……
でも、もう決めたことなので悩むより動きます。
住む場所が変わっても、遊びに行くよ
まだ福島に住み続ける人に、ちょっと質問です。
- 福島に住んでなきゃ、意味ないですか?
- 「離れる」人は、裏切り者って思う?
- 一度離れた人に「二度と来るな」って思う?
たぶん、そうは思わないですよね。
(思う人もいるでしょう)
すみません、極端な聞き方でした。
でも、少なからずこんな思いを持つ人もいるな、と肌感覚ながら思います。
せっかく数年かけて受け入れた人材が「結局出て行くのか」とガッカリする気持ちも分かります。(なぜなら一時期、移住の仕事もしてたから)
だけど私は定期的に遊びに来るつもりです。
お客さんが福島にいるので、製作する物も福島で使われるものだったりします。
つながりが一切なくなるわけではないんです。
もっと気軽に引っ越そ?
残念がってくれることは、とても嬉しいです。
だけど、みんなだって「あ〜住む場所変えたいな」って思うことありません?
けっこうそんな話をしてるよ、皆さん。
例えば
- 子ども時は実家に暮らす
- 進学・就職と共に一人暮らし
- 結婚して二人暮らし
- 子どもが生まれた狭くなったからマイホーム購入
- 子育ても終わり、終の住処へ引越す
住む場所って、人生のステージで自然と変化しますよね。
それなら、「引っ越したい」と思ったらサクッと引っ越しましょうよ。
そんな無理だよ、って人もどうしたらできるのか?考えてみたらいいんじゃないかな…考えるのはタダだし…
私はサクッと移住したいし、好きな時に引っ越せるだけの財力は身につけたいな。
ここは他郷
あとこれは大マジですが、
福島は私にとって間違いなく「他郷(たきょう)」だと思ってます。
「他郷」は中国の古い言葉で「他郷偶故知」に由来してます。
(ターシャーイーグージーと読む)
人生には大きな喜びがいくつかあって、その一つは異郷の地でまるで自分のふるさとに出会ったような、まるで実家に帰ってきたような感覚を覚える時だ
と、そんな意味があります。
そんな大切な場所が、1つでも見つけられただけで、幸せなことです。
ネガティブなことも散々書いてきたけど、それでもやっぱりこの土地が好きなことを知ってほしいなと思ってこの記事を書きました。
福島で知り合った人たちには、これからも幸せであってほしいし、この5年間には感謝しかありません。ありがとう!
だからどうぞ…
これからもお仕事ください。
では。