こんにちは。たかぎしおりといいます。
今月(2019年7月)で福島をはなれ、地元の栃木に引っ越します。
福島には5年ほど住ませてもらったので、正直さみしいです。
「地域おこし協力隊をしてたのに、結局出てくの?」と、疑問に思う方もいるかもしれませんね。
おっしゃる通りすぎるので、ここでは真摯に理由を伝えたいと思います。
- なぜ?本音は?
- これからの仕事は?
気になる方は、このまま読みすすめていただければ…!
ネガティブな話も多く、傷つく人がいたら申し訳ないです。
でも、福島をはじめ、移住を検討している方、地域おこし協力隊の受入のお仕事してる人に、何かしらの参考になれたら…と願いまくって、はじめます。
目次
5年前、東京から移住しました

本題に入る前に。さっくり移住の経緯をまとめます。
わたし、農家になろうと思ってたんですよ〜…….
(遠い目)
死ぬまで「耕せる女」を目指してやってきました。(そして移住したらそんな女が山ほどいた)
当時26歳、東京でNPOの職員として働いてたのですが、控えめに言って病みまくってました。
生き方、働き方に迷い、人生停滞モード。
終電で帰ってアパートに着くなり、涙が止まらない。夜中でもおかまいなし電話し、誰かに話を聞いてもらう…….そんな生活が1年くらい続きました。
(あの時はマジごめん皆さん)
その時、考えていたのは、
- このまま東京で死ぬのはいやだ
- なにかを作れる人になりたい
- 震災後の福島に興味がある
- そうだ、農業なら食べる物に困らないはず!
- それに生活費が安いだろうから貯金できるよね!
ま…安易ですよね。
こんなノリで移住を決めました。
(移住に必要なものは、2000%勢いです)
住んでみたら理想は1ヵ月で叶ってしまった

で、田舎で生活を始めたらどうだったか?
正直、理想はあっという間に叶いました。
例えば
- 自分で食べるものは、自分で作りたい!
- 空き家をDIYしたい!
- ステキな古民家で素敵ライフしたい!
- ゆっくり丁寧な暮らしをしたい…….
多くの人がそんな理想の生活を描いて移住すると思うんですよね。
大丈夫!
その夢は1ヵ月、
いや下手したら1週間で叶うから安心してください。
感覚的には、秒で夢が叶った感じでした。
正直とまどいました。
さらに追い討ちをかける?ように、ある事実が判明しました。
「あ…家庭菜園レベルで満足できそう…」
気付いてしまったんですね。農業は仕事にしたいわけじゃなかったと。
さあ、どうしよう
移住して早々に、シフトチェンジが必要になりました。
結果、文章やイラストの仕事に落ち着きました。
昔から続けてきた仕事とあまり変わらない……。
自然が豊かな田舎で、在宅ワークでできるこの仕事は自分に合ってるなと思います。
福島から出ようと思った5つの理由

早く本題へうつりましょう。
なぜ出てくのか。主な理由は5つあって、
- 震災後の「ふくしま」に住み続ける覚悟がなかった
- 低賃金、重労働…ガマンに慣れすぎた文化
- 気候が体に合わなかった
- 空き家の管理は想像以上にハード
- 結論、長く住むイメージがもてなかった
1つずつ補足させていただきます。
1 震災後の「ふくしま」に住み続ける覚悟がなかった

「震災後の福島に興味がある」といったのに、なんともショボい話ですいません…。
しかし、5年住んでみての正直な感想です。
具体的には、
- フレコンバック(※)の山を毎日見るのは、ふつうにしんどい
- 放射能のことが頭から離れる日はほぼない
- 震災、放射能、原発など、考えたところで答えなどない課題がもりもり
※ フレコンバックとは……原発事故による除染で出た草木など廃棄物が入った、黒くてめっちゃ威圧感ある袋です。
そういう状況だって、理解した上で移住したはず。
でも少しずつ現実が見えて、少しずつしんどくなってきました。
それから……うまく言えませんが
「震災を言いわけに思考がストップしてる」シーンも何度か体験させてもらいました。
その度に「現状がうまくいっていないのは震災だけのせいなのか?」
そんな場面に遭遇しても、当然わたしにできることなどなく。無力感で滅入ってきました。
たかが数年住んだ移住者が、よそ者が土足で踏み込んではいけないことも多々ありました。
そして、この先に起こることは誰も予想できませんし、自分で責任をとるしかありません。そこで「別の場所に住みたい」と思いました。
2 低賃金、重労働…ガマンに慣れすぎた文化

地方あるあるかもしれませんが、
- お金をいただくことへの抵抗感ハンパない
- しかし収入がないと「半人前」と呼ばれる謎の文化
- 無償労働や自己犠牲を「美徳」とする文化
- それを若い世代に、押し付けてないかい…?
私が地域おこし協力隊として活動していた時、耳タコになるほど言われたのは「高給取りでいいね」ってことでした。月16日しか働かなくて16万もらえる、と。
地域おこし協力の財源は、血税ですから
いろんな意見があっていいと思います。
でも、毎日ずっと一緒に仕事をして、信頼してた方に
「お前は高給取りだからいいね」と言われたときは、ショックで何も言えなくなりました。「え、16万分も仕事もできてないですか?」と。
(今思えば、もっと色んな理由があって言ってくれたのかもしれません)
別の角度でいうと、「地域を活性化させる」というミッションに対して、本当に高い金額なのか?
一度、検討してみてほしいのです。
「地域を元気にする」という抽象的かつ壮大なこの大仕事。ぶっちゃけ、長年地域に住み続けた人たちがどうにもできなかった課題に挑むのです。(もちろん周りの協力あってのこと)
その対価が16万。これって本当に高いでしょうか。
「自分たちだって我慢してきた 」という、無言の圧
「仕事は辛くて当然」「苦労しろ」「私たちはそうしてきたんだから」
そんなお話を、何度してもらったことか。
もちろん日本ではお金について学ぶ機会が少ないことや、東北は特に歴史的な背景もあって、社会がのしくみがそうさせてるってことはあると思います。
でも、「これぐらい安くて当然」ってみんなが思ってたら、いつまでたっても安いままです。
そういう価値観の中で生きることに、限界を感じました。
そして「仕事や人生は、自分で変えられるよ」って、次の世代に伝えたいと思いました。
3 気候が体に合わなかった
この件については、こちらの記事を参照してください。

「住み続けられないな…」と思う、決定的なポイントだったかもしれません。
4 空き家の管理は想像以上にハード

いや、これ福島と関係ですね…!私が甘かっただけです。
こちらも5年分の記録をまとめてます。

アパートが少なく、空き家が豊富な地域に越してきたので、当然のように一軒家を借りることになりました。26歳で思いがけず一国一城の主へ。
広い家は部屋の使い分けもできて便利です。しかも修繕費は予算を工面していただきました。さらに、家賃は3年間サポートしてもらい、その後も格安でお借りしてました。ありがとうございますすぎる…。とても快適空間でした。
ただ、空き家管理はマジ労力がいります…。
たとえば、
- 屋根が劣化して、雨もりが!→ペンキの塗り直しで20〜30万
- マイナス12度でシャワー崩壊 → 交換で5万円 (大家さんが負担してくれた)
- 寒過ぎてストーブ4台購入
- 梅雨時はいたるところでカビとの戦い
- 区費は年間12,000円、祭りの寄付が5,000円 (これはしょうがないかな)
- 毎日そうじしても、汚れはたまってく(それストレス)
一軒家を、
2〜3年人が住んでなかった空き家を、
快適に変えてくなんて、途方もないのです。
だからいつも「….家の仕事が終わらない…」と感じていました。
ただ古民家暮らしを移住の目的の人も多いと思うので、一度は住むのをお勧めします。あとは各自の判断ですね。
5 結論、長く住むイメージがもてなかった

大切な仲間もできたし、仕事もあるし、快適な生活ができている。
田舎暮らしの不便さは、生きる覚悟みたいなものを与えてくれた。
成長できた。
それでも私はここを離れる。なぜか?
「この暮らしを、あと何年続けてく?」
「たとえば、40歳になってもここにいたい?」
と自分に問いかけた時、残念ながら答えがノーだったのです。
「ここで根を張って生きていこう」と思って来たけど、私はここに根をはれなかった。残念かもしれない。でも、やっと答えが出てスッキリしています。
「一緒にいたい」と思える人が、見つかった

今年の2月、「田舎フリーランス養成講座(通称いなフリ)」に参加しました。
新しい仲間ができた。人生の転換点だったなと思います。福島の人たちが魅力的なように、新しく出会った人たちも、魅力的でした。シンプルに「もっといろんな人に出逢いたいな…」と思いました。
今の自分に合う場所へ
栃木を選んだ理由は、今の自分には条件が合ってたからです。
栃木でも新しく知り合いができたので、これまた楽しみ。
新しい出会いが引っ越す勇気をくれたな、と思います。
まだまだ書きたいことがあるのですが、今日はここまで!
2019/6/8追記
さて、続きです。
暖かい国に行きたい

よく聞かれる質問に、
「あなたは何になりたいの?」
が、あります。
それは自分でも知りたいですね……
ちょっと真面目に答えると
自分を変えたくないんですよね……。
だから、変化し続けるしかない。
変わりたくないから変わり続ける、それが答え…です… ( ˘ω˘ )ドヤ
そして、馬鹿みたいに聞こえるかもしれませんが、暖かい国に行きたいです。
海外でも15万もあればやってけるのかなと思ってます。(また安易な考え)
福島の人に伝えたいこと

お世話になった人に挨拶していると、本当に申し訳ないです。
「どうして?
やっと慣れてきたのに……」
「仕事だって、落ち着いてるでしょ?」
たしかに…自分でも「今の生活、わるくないよな」と思います。
でも、もう決めたことなので悩むより動きます。
離れていても、つながれる
福島に住んでなきゃ、意味ないでしょうか。
離れた人は、わるものでしょうか。
わたしが出会った、福島の人たちはそんな風には思わないと思うんです。
(思う人もいるかも)
また、遊びにきます!
ありがたいことに、お仕事もいただいてるので、
つながりが一切なくなるわけではないんです。
人生のステージで住まいは変わる
例えば
- 子どもの時は、親と暮らす
- 進学・就職で一人暮らし
- 結婚して二人暮らし
- 子どもが生まれた狭くなったからマイホーム購入
- 子育ても終わり、終の住処へ
といったように
住む場所って、人生のステージで自然と変化しますよね。
それなら、「引っ越したい」と思ったらサクッと引っ越しましょうよ。
私はサクッと移住したいし、好きな時に引っ越せるだけの財力は身につけたいな。
福島は私にとって間違いなく「他郷(たきょう)」です。
「他郷」は中国の古い言葉で「他郷偶故知」に由来してます。
(ターシャーイーグージーと読む)
人生には大きな喜びがいくつかあって、その一つは異郷の地でまるで自分のふるさとに出会ったような、まるで実家に帰ってきたような感覚を覚える時だ。と、そんな意味があります。
そんな大切な場所が、1つでも見つけられただけで、幸せなことです。
ネガティブなことも散々書いてきたけど、それでもやっぱりこの土地が好きなことを知ってほしいなと思ってこの記事を書きました。
福島で知り合った人たちには、これからも幸せであってほしいし、この5年間には感謝しかありません。ありがとう!
だからどうぞ…
これからも仲良くしてください。
では。