こんにちは、たかぎしおりです。
福島での生活も、残り2日となりました。
新しい生活にワクワクしてたのに、今度は新しい不安が生まれてきてます…..。「wi-fiどうしよう!」「車の処分いくらかかるかなー」とか、些細なことなんですけどね。
今月、1番心がけていたのは、お世話になった人への挨拶。
福島で5年も暮らしてこれたのは、周りの人たちのおかげだから。
彼らにちゃんとお礼を伝えてから、去る。
それが今月の目標でもありました。
だいたい20名くらいに挨拶しました。
そんな中で感じたのは、「ここを離れるって判断も、残ってがんばる判断も、どちらも平等だ」ってことです。当たり前なんですけどね。
なぜか「立ち去る者が美し」く感じるじゃないですか?
中島みゆきじゃないけど……
残されて戸惑う者たちは追いかけて 焦がれて 泣き狂う……
(いやそこまで思ってくれるなら思いとどまるかも)
でも、同じ場所にとどまることが容易なわけじゃない。
留まり続けるにも、工夫や努力がいる。
だから、「残る」「離れる」て決断に、差はないよな
って話です。
わたしのお礼まわり

さて、参考に?わたしのお礼まわりの方法を紹介します。
この1か月で挨拶したのは、20名くらい。
「この人には会って話したい」と思う人の、お宅やオフィスにおじゃましました。
形にこだわらず、誠意が伝わるようにしました。
些細な事ないけど、気をつけていることもありました。
- 待ち合わせ時間に遅れない(今までできてなかった)
- 落ち着いて話せるように、アポイントは1日1〜2件まで
- 時間にゆとりをもつ(だいたい伸びるから、+1時間くらい)
- 「何か贈りたい」「送別会を」と提案されても、気持ちだけ受け取る
- なんか持ってく (うどんとか持っていきましたね…..)
…….形にこだわってますね………。
「面授」って言葉があるけど、直接会って話す効果は大きかったです。
声とか表情から伝わるものもありました。電話やメールですますことはできるけど、のちのち「直接会えばよかった」と後悔したくないので、我ながら訪問したのはいい判断でした。
生活をつくり直すエネルギー

本題の「残る」「離れる」て決断に差はないよね、というお話にうつっていきたいと思います。
「離れる」「拠点を変える」「移住」は、新生活への期待も高まって、ワクワクします。この1か月のわたしが正にソレでした。
でも、生活基盤を新たにつくるエネルギーは相当なものです。
これまでの仕事や生活をひと区切りさせる労力、新しい場所に慣れる練習、新しい生活拠点をつくる。そのどれもが、エネルギーのいることだなと思います。
あと、これはわたしのコンプレックスでもありますが、「1つの場所に根ざす」ことへの憧れがあります。
何か、同じ場所にいられる人ってかっこよくないですか?
それが自然にできるって、かっこいい。
そして、できない自分が歯がゆかったりもします。
生活を続けるエネルギー

一方、ここに残ることには、どんな労力がいるのかを考えてみます。
家や仕事もあって、仲間もいる。その辺を歩けば、見知ったご近所さんに会える。
そんな「ある程度はやっていける」って安心感は大きいですよね。
いざとなったら助けを求められる安心感て、すごくありがたいよな……と今なら思える。
生活基盤もある程度そろってるから、イチから作っていく労力は少なそうにも見えます。
一方で、1つの場所にしばられるような、窮屈さもあります。
挨拶をした人の中には、そんな人もいました。結婚、出産、育児、家族が増えれば拠点を定めたほうが、効率的ですしね。あと農業やってる人も土地があるから、そう簡単に離れられない。
人間関係も固定化されやすいし、刺激を作ってかないとマンネリ化もする。(それが心地よいって人もいる)
今の生活を維持し、何かを「続ける」には、相当のエネルギーはかかる。
どっちがラクか?
じゃなくて、どっちも容易じゃない。
むしろどっちも大変だぜ、と思います。
誰かの許可はいらない

すっっごく当たり前だけど
何か「始めるとき」、反対に「やめるとき」、誰かの判断は必要ない。
唯一、必要なのは「自分で自分に許可を出す」こと。
「いいよ、変わってもいいよ」と自分に言ってあげること。
でも「自分に許可を出す」って、意外に難しい。
今回のわたしの例で言えば、こんなかんじ。
- 地元側「新しい家とか、仕事どうするの?せっかく慣れてきたのに……」
- (あと、面倒みてきたのにな……って感情もあると思う)
- たかぎ「離れるのは申し訳ない……残るべきだろうか」
そんな悩みを、この1年グルグル考えていました。
だけど、冷静に考えてみれば新天地で苦労するのは、だれでしょうか?わたしですね。うまくいかなくても、それはわたしの問題ですね。
だから、自分が望んだ苦労ならよろこんで受け入れるしかない。それが責任でもあるし。
わたしの問題は、心配してくれる人の問題ではないんです。
君は君、我は我なり、されど仲よき
武者小路実篤ではありませんが、自分と他人をごっちゃにしないように気をつけています。よくごちゃ混ぜにして悩んできたから!
- 移住するのは、誰?
- 移住して、苦労するのは誰?
- その人生は、誰のもの?
肝心なのは、他人の課題にふみこまない。学びました。
アドラーじゃないけど……
「そうか、決めたんだね。じゃあ、体に気をつけてがんばってね」
そんなやり取りを、サラッとしてくれる人もいて、それがとても心地よかった。
あなたの決断が、なにより尊い
死ぬほど悩んで地域を離れる人もいれば、地域に深く根ざしてがんばろう、って決めた人もいる。
そんな真剣な決断を、天秤にかけることはできないですよね。
どちらも本気の決断、だからどちらも尊い。
「がんばってね。応援してるよ。また元気に会おうね」
そんなやり取りが、もっともっと増えていくといいな
と思いながら残りの少ない時間を味わいたいと思います。