こんにちは。しおりです。
なかなか捨てられないタイプです。
特に「思い出」が捨てられません。手紙とか10年くらい捨てられずにいた人です。
でも、ある時をピークに「捨て」に目覚め、そこからは黙々と捨てまくる人間に変わりました。
目次
捨てられない人間だった
思い出の品に囲まれ、ご満悦のわたし。

これは東京で一人暮らししてた部屋。
今眺めてみると「なんでこんなに物に執着してたんだろう」と不思議です……。
左側の棚とか、ほぼ「お思い出の棚」です。
思い出のチケット、アクセサリー、ノート、テキスト。友だちからもらったお手紙とか、大切に箱にしまってた。
当時は、「これは棺桶まで持って行こう」と思ってましたた。
上京するとき、不安だからお守りみたいに持っていった。
これは今の部屋。
捨て切ったので、クローゼットに収まりました。ベットも手放し、毎日ふとんをしく生活。
空き家で、大量の家財を処分した
「捨て」に目覚めたのは、空き家に住んだことがきっかけ。
2014年〜今年の6月まで、大きな空き家住んでました。そこで、大量の家財に向き合うことに。
しかも、自分の物ではなく、人様の物。これを捨てまくりました。
なぜ、他人の物を捨てたのか?
というと、この物件、かなり格安の家賃で住まわせてもらっていたからです。
この大家さん、とても優しいんです。「移住してきた小娘(当時)に家を貸して」という頼みを快諾してくれました。
「家にあるものは使いたかったら使ってね。いらない物は捨てていいから」
その言葉に感動するわたし。
「そこまで親切な人、この世にいる!?」
「安く住めるし、家にあるものを使ってもいいなんて……なんて素晴らしい人たち!!家財の整理くらい、やりますよおおお」と張り切りました。
しかし、いざ家に入ってみて愕然としました。
けっこう残ってる……。
いす、ソファ、学習机、ベッドなどの大型家具。家具ってまだいいんです。業者さんにお願いすれば一気に片付くので。でも、細か〜いもの、未開封の電気、シーツ、洗剤、文房具などなど。地味に辛い。
中でも一番頭を悩ませたのは、思い出の品々。
お人形やアルバム、観光したときに買ったであろうご当地の品々。
「捨てていい」と言われても、いざ目の前にすると、手が止まる。まして人様のもの……。捨てる前に、連絡をして、確認を取るようにしてました。
思い出が、一番捨てられない
自分も捨てられない人間だった。
だから、捨てられない人のことを悪く言うつもりは、ありません。
ただ、一人で対処しきれる量ではありませんでした。
結局、まわりの人にお願いして手伝ってもらいました。そして捨てまくりました。(軽くトラック10台分は捨てた。ほんとに)
そのとき、腹の底から思いました。
「物って便利だけど、人を苦しませることもできるんだな」と。
そして一番捨てるのが難しいのは、思い出なんだな、と。
その思い出は、誰の役に立ってる?
借りてた空き家は、最終的にこれだけサッパリしました。大家さんも「きれいにしてくれて、本当にありがとう」と言ってくれました。最後まで優しい人……。
あるていど「捨て切る」と、「停滞期」みたいな時期がきます。
「これは使うし。大切だし。もう捨てるものないな!」と。
でも「思い出」の品は残っていたりする。
「チリも積もれば〜」で、過去のわたしは思い出が捨てられず、結果たくさんの物に囲まれました。最終的には、思い出で身動き取れなくなった。
そんな過去の自分に、伝えたいことは1つ。
そんなに大切なら、捨てなくてもいいよ。
ただし、その思い出はだれかの役に立ってる?
思い出に浸りたいときもあるよね。だけど、それが今そこにいる人のスペースを奪ってないか。誰かの自由を奪ってないか。
そんなことを、少しでいいから考えてみてほしい。
思い出はハートにとっとけ
今はわりと思い出の品物も、捨てるようになりました。
お手紙、年賀状、写真、プレゼント。
うん、捨てますね……。
やっぱり思い出は、心に刻みつけるものだと思う。
そうすればいつでも引き出し可能。物に頼らないと思い出せない思い出なら、その程度ってことで。
そう思って、今日も何か捨てられないか、ウロウロ家をパトロってます。