
つらかったときの写真て少なくて。これは仕事やめてバイトしてた頃です。
2013年、新卒で就職したNPOを退職しました。
大好きな仕事だったにも関わらず、1年しか続かず、逃げ出すように辞めました。あれから7年経つけど未だにフラッシュバックが起きます。忘れようとすればするほど、記憶は蘇るんですね。
自分
と、さすがに前に進みたいと思いました。
そこで改めて当時をしっかり思い出してみたんですね。すると「あれ、これはむしろ感謝すべき体験じゃ?」と気づいたんです(笑)
一個人の体験ですが、体とメンタルを立て直した方法も書いてます。いま仕事が苦しかったり、働き方で悩む人のためになれたら嬉しいです。
逃げてもいいんじゃない?
当時の自分に語りかけるなら、「体と心を壊してまでやらなきゃいけない仕事はこの世にないよ」ってことです。
実はコレ自分が言われた言葉でもあって…この言葉で退職を決意できました₍ ᐢ. ̫ .ᐢ ₎
「ブラック」とか「やりがい搾取」とか、一言で片付けられたら楽だけど、当事者はそうシンプルに考えられないし。
「逃げちゃダメだ」「周りに迷惑をかける」と思って、視野がどんどん狭くなっていた。でもあえて「逃げてもいいよ」と伝えたいです。
むしろよく自分で退職を伝えた。今なら退職代行を使ったと思う。
つらかったこと
当時をしっかり思い出してみたら、からだ壊してもおかしくない環境でした。
- スーパー長時間労働
- 夜型の生活
- オフィスに陽が当たらない
- スーパーマルチタスク
- つらいって言いにくい
個人差ありますが、私はこれらの要素あると病むと分かりました。
スーパー長時間労働
契約上は週休2日だったと思いますが、自分の仕事が終わるまでは休めないというか…。
朝9時くらいに起床 → 11時頃から仕事スタート → 終電で帰る
って生活でした。
夜の10時くらいに家に着いたら「今日は早い〜」と喜んでた記憶が。
夜型の生活
仕事のコアタイムは昼1時〜夜9時と、わりと夜型でした。
わかった上で就職したけど、これがきつかった。
まず、夜9時に仕事が終わらせられず、ズルズル終電の12時近くまで働く。家に帰ってもPC開いて、夜中に2時に寝おち。翌日(というか当日)は早くて9時起床、午前中は頭がぼーっとして目が覚めない。
自分は朝方だと分かった今、これはきびしい。
オフィスに陽が当たらない
太陽の光を浴びるのは大切です。
が、オフィスは暗くて昼間から蛍光灯つけないと仕事できない。今が昼か夜か分からん。外に出れば分かる。
そんな環境でした。
あと古い物件で、きれいではなかったかな…。新宿の便利な場所にあったので、しかたないかな〜と思ってました。
タイのTCDCにいる今、もっときれいなオフィスあるよと言ってあげたい。゚(゚’-‘ ゚)゚。
スーパーマルチタスク
NPOあるあるですが、とにかく何でもやってました。
理事、採用、人事、会計、協賛、グッズ制作など担当。今となってはフリーランスに全て活かせる仕事なので、ありがたい経験をさせてもらいました。
…が、これらのマルチタスクを周りに声かけられたり、電話対応しながらやるのはムリでした。自分の仕事がはかどらず、休日返上で働くことに。
つらいって言いにくい
これもNPOあるあるなのか、働きすぎの人あるあるなのか、もはや働きすぎて「つらい」って言えない。だってみんな辛いから…。
言わずもがな私もマヒし、自ら追い詰めていきました。゚(゚’-‘ ゚)゚。
あと、今だから言えるけど独特の文化に馴染めないこともありました。わりと老舗のNPOに就職したので、特有の文化もあり「なんかやだな」と思っても言いにくい。
「これで20年やってきたんだ」と言われたら、反論できないよ…。゚(゚’-‘ ゚)゚。
文化を否定する=これまで活動やがんばってきた人を否定する、みたいな構図があって、小心者の私は慣れる(思考停止する)他ありませんでした。
うーん。新卒で不慣れな状態でこれは大変かも。社会人8年目の今見ても、なかなかの環境だ。
今も、フリーランスなので休日ないしスーパー長時間労働に変わりないけど、自分でコントロールできることが少ない状態できつかったのかも₍ ᐢ. ̫ .ᐢ ₎
最終的に、私がたどった道
うつの一歩手前でした。
診断を受けてないので「うつだった」とは言えないけど、
- 寝れない
- 文字が読めなくない
- 人の言葉が頭に入ってこない
- 特定の人に合うと冷や汗が出る
- 自己否定がすごい
こんな感じだったので、仕事やめて休まないと死ぬと思いました。
結果、1〜2年は体とメンタルの立て直しに当てることになります。
立ち直るためにやったこと5つ
仕事を辞めた直後は、何にも手につかず、しばらくボーッと生きてました。体力も戻り、ちょっとずつ生活を立て直していきました。
- とりあえずアルバイト
- 田舎に逃げた
- 生活費を減らす
- 他人に甘える
- 食生活改善
① とりあえずアルバイト
貯金もないので生活費を稼ぐために、知り合いの職場(こちらもまたNPOです笑)でアルバイトしながら食いつなぎました。
半年くらいまったりしながら「次どうしようかな」と考えてた感じです。
② 田舎に逃げた
「田舎に住みたいかも」と思うようになりました。
東京の生活は十分楽しんだし、思い残すこともない。よし地方で根を張って生きてこう!地方ってことは農業か?よし農家になろう₍ ᐢ. ̫ .ᐢ ₎
結構安直でした…。
いくつか候補地を探し、知り合いもいる福島へ移住。退職してから半年後でした。
③ 生活費を減らす
田舎を選んだ理由は、生活費が安いからです。
東京で一人暮らししてると、マジで貯金できません。
退職直後は貯金は50万くらいしかなくて、バイトで15万くらい稼いでも家賃6万で今月の稼ぎがほぼ飛んでく…。
今なら節約方法もわかるが、仕事に忙殺されてるとシェアハウスとか格安SIMに変えたり節約する気力は湧かず、湯水のようにお金が流れ出て行きました…。
そこで、物価の安い地方に見学に行きました。
そこで「家賃は2万だよ〜。高いかな?」と言われ、たまげた。トータル8万くらいあれば死なないことも分かり、田舎に暮らす決断ができました。
結果としてこの判断は大正解で、食事もおいしく自然も豊かな環境に移ったことで、元気を取り戻しました。
貯金も進んだし₍ ᐢ. ̫ .ᐢ ₎
④ 他人に甘える
誰かに頼ることも、この時期に学んだ気がします。
「自分でなんとかしなきゃ」と追い込んで、余計に失敗する時期が続いてました。
仕事うまくいかない→ヘコむ→視野狭くなる→凡ミス連発→評価下がる
こんな負の連鎖が続きました。
最高潮にヘコんでたとき、友人が声をかけてくれました。
「大丈夫?」と聞かれたことがきっかけで、とりあえず泣いて泣いて、やっと「辛い」とか「しんどい」て言えるようになりました。
友人や家族が底なし沼から救ってくれた…₍ ᐢ. ̫ .ᐢ ₎
⑤ 食生活改善

育ちすぎたレタスに喜ぶ。退職後1年くらい
仕事辞めたらすごいヒマで、料理するように。
NPOで働いてた時は自炊する気力がわかず、三食外食。終電前によくお酒飲んだり、やよい軒でハイカロリー飯を食べたり…。だから肌アレもすごかったし、生理と止まったり、逆に不正出血したり、とだいぶアレでした。
ご飯とかゆで卵とか、簡単な料理でも食事を変えると、体調もよくなって落ち着きました。
仕事を辞めた直後は「早く働かなきゃ」と焦ってたけど、今となっては働き方や人生に向き合うきっかけをもらえて、いい時間でした。
NPOを辞めて学んだことは2つ
NPOでのハードワークを終えて、人生の学びを得ました。
- 逃げる勇気をもて
- やりたくない事はやらない
身をもって体験しました。
逃げる勇気をもて
退職する直前、
- 逃げちゃダメだ
- あきらめるのはまだ早い
- ここで辞めたらみんなに迷惑だ
ぐるぐる同じことを考えてた気がします。
今となっては「ダメならどんどん次に行けばいいよ」と思う。
合わない環境にいても力は発揮できないし、仕事の成果も上がらない。「相手に迷惑だ」って言うけど、仕事できないのに居座る方がかえって迷惑だぞ₍ ᐢ. ̫ .ᐢ ₎
ちょっと厳しいが…。
たった一人が辞めたくらいで組織はつぶれないので、だったらサクッと辞めてよし₍ ᐢ. ̫ .ᐢ ₎
やりたくない事はやらない
「やりたいことをやる」「好きなことを仕事にする」もいいけど、
- やりたくないことを極力減らす
- やってて苦じゃない仕事を増やす
こっちの方が重要かと。
例えば、通勤、マルチタスク、苦手な相手。これらを減らしたら、ストレスは激減し人生の満足度が上がってきました。
あと、20代は「美しく稼ぐ」「かっこよい仕事する」ことに固執してた気がします。これらのプライドもとりあえず捨ててOK。まず最低限の生活費を稼げれば、そんなに立派な仕事じゃなくてもいいです。
鍛えてくれてありがとう
学生ボランティアからのめり込むように就職したNPO。「好きなことを仕事にできた」「希望が叶った」と思ったら、自分が壊れる一歩手前までいきました。
不器用な自分も、周りの人も、だいぶ恨みました。ずっと過去を恨んできたけど、そろそろ恨み疲れたので…(笑)
うまくできなかった自分をそろそろ許してあげたい。
今もし仕事がつらいって人も、こんな風に人生立て直せた人もいるので、「逃げる」ってことも自分を守るためには大切な手段かと思います。
「体と心を壊してまでやらなきゃいけない仕事はないんだな」と身をもって学びました…₍ ᐢ. ̫ .ᐢ ₎
鍛えてくれたことに感謝し、離れる決断をした自分も褒めてあげたいです。
ここまでありがとうございました。
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