【移住体験記】生きる自信がない26才を解放したのは、田舎のおじちゃんおばちゃんだった

shiori-milo

優柔不断だけど、移住を決められた3つの理由

私は26才のとき、8年暮らした東京を離れ、福島に移住しました。

経済的にも、環境的にも、東京に住み続けることに限界を感じていました。

田舎に行きたくて。というか、とにかく逃げたくて。

にも関わらず、なかなか決められず1〜2年が経ちました。

その理由は「お金がないから」「特別なスキルがないから」。

お金中心の価値観で生きてきたので、稼ぐ力がない自分が、この先どうやって生きてけばいいのか途方に暮れて。26年間で一番大きな不安に襲われた時期でした。

そんなとき、道を照らしてくれた人がいたんですね。それが、移住先を探す中で知り合った、おじちゃんやおばちゃんたちでした。

(若い人もいたんですが、平均年齢でわるとおじちゃんおばちゃんになります…笑)

生きる自信がない、26才

友だちに話を聞いてもらってた(深夜)

漠然と、生きてく自信がなかったんですよね。

  • 収入を失うのが怖い
  • 新しい出会いも怖い
  • っていうか、生きるすべてが怖い

ここまで落ち込んだには他にも理由があるけど

とにかく「怖い」と思ってました。

ベットの上で天井を見つめながら泣く。

これがよくやっていた、朝のモーニングルーティンでした(苦笑

未来が不安で、仕事にしがみつくしかなかった。

この部屋でよく泣いてた

「怖い」って思うと、今いる場所にすがりたくなりました。

  • 仕事を辞めたいのに、しがみつくしかない
  • 都会を離れたいのに、離れられない

まさに悪循環で、

「辞めたい。でも辞められない」

「引っ越したい。でもできない」

同じことを無限ループしてました。このとき、本当に人生が停滞してました。

とりあえず、田舎を見に行く

こんな負の循環をぐるぐるしてるうちに、仕事を辞めます。(というか辞めざるを得なかった)

最低限の生活費を稼ぎながら、ボーッとしてました。

そのうち「このままじゃいかん…!」て気持ちが湧いて、移住先を探し始めます。とりあえず、気になる場所に行ってみました。

  • 新潟:米がうまい。でも雪が…
  • 島根:景色が好き。でも遠い…
  • 福島:酒がうまい。でも寒い…
新潟でジャンプしてみたり
福島で豆腐を作ってみたり
カレー
ヒッピーな村にもぐりこんだり

仕事を辞めたときは鬱っぽかったのですが、いろんな場所に行くうちに元気を取り戻していきました。

お金も時間もない中で、次に生きる場所を探す

休日を使っての見学なので、長くて一泊二日しか滞在できません。時間もお金もないから、必死でした。交通費を抑えたくて、だいたい深夜バスでした。

なんとなく「移住先探しは半年間」と決めて、半年で3〜4箇所を見て、気になる場所は何度も足を運びました。

そのうち、「自分にはできない」と思っていた移住ってイベントが、現実味を帯びてきました。

おじちゃん、おばちゃん26才を救う

一番刺激を受けたのは、田舎で暮らすおじちゃん・おばちゃんの生き様でした。

彼らが、「田舎で生きよう」と決心させてくれたんですね。

わたしの小さい悩みを吹き飛ばしてくれたエピソードを振り返ってみましょう笑

① 住む家が見つからない

空き家はたくさんあるんです。

でも、自分が希望する物件を貸してくれる人に出会うには、時間と根気が必要。そんなとき、

おじちゃん

「気を長くして探せば、そのうち見つかるよ」

こんな風に優しく声をかけてくれる人や、

おばちゃん

「家が見つかるまでは、うちの納屋を使ったっていいよ」

めちゃくちゃ広い心の人もいました。

(その人本当に何人か住まわせてました)

② 車を持ってなかった

車を買えなかったんですよね。最初のころ。でも車がないと、田舎では死活問題なので

おじちゃん

「しばらくはウチの車に乗せてやるよ」

と言ってくれる人もたくさんいました。

実際、移住したての数ヶ月は自転車で過ごしました(笑

そのうち、チャリをこぐ姿に見かねて

おばちゃん

今からスーパー行くから、あんたも来な!

と(強制的にw)連れて行ってくれる人もいたり。

車はなくても死なないものだな、と思いました。

③ 貯金40万。ひたすら金が心配

移住を決めた時、貯金は40万くらいしかありませんでした。

引越しでさらにお金が減り、とにかくお金が心配でした。

そんな事情を見透かされて、

大家さん

「家賃、2万じゃ高いかな?」

と心配してくれました。

にまん…。東京で1Kのアパートに6万2000円払ってたので、一軒家で2万って破格すぎて。

結果的に、地方では東京の生活費の半分におさまることがわかって大分精神が安定しました。

④ スキルも、社会人経験も乏しい

自分でも「何ができるのか謎」でした。

農業やってみたくて田舎に行ったけど、農業一本で生きてく決心もできなくて…。どっちつかずに私に

おじちゃん

「周りの人たちのために、自分は何ができるか。時間はあるからよく考えてみて」

やっぱり優しく諭してくれました。

一方、おばちゃんたちのアドバイスは具体的で、

おばちゃん

とにかく何でもやってみることだな!

さすが山の中で長年生きてきただけある…。

すごく励まされました(笑

狭かった世界が広がる

焚き火をする会

怖くて、これからどう生きればいいか分からなかったけど、田舎の人たちの価値観に触れて、少しずつ考え方が変わってきました。

お金や自己責任の価値観しかなかったから

なんでも自分でやらなきゃと思っていた。

でも、周りと協力してのりこえることだってできる。

失敗するのが怖かった。

でも、失敗しても命を取られるわけじゃない。またやり直せばいい。

東京にいたとき、世界の全ては職場とアパートでした。「お金も才能もない自分は生きてる価値がない」と思ってアパートで一人泣いてたけど、一歩外に出れば、まったく違うものさしで生きてる人たちに会えました。

彼らの価値観に触れるうちに、泣いてる時間が減って、だんだん呼吸もしやすくなって、世界が広く見えるようになっていきました。

だから、「移住しよう」って決められたのかな、と思っています。

苦しい時期も必要だった

この体験は今もすごく自分の中に生きてて、経験できて本当によかった。東京で悩んで苦しんだ時も、地方に移住する原動力になったので、決してマイナスだけではありません。むしろ停滞期を抜け出すために、どうしても必要な時間だったのかな。

今は福島を離れ、栃木県にいますが、たかぎの移住を助けれてくれた人たちには本当に感謝です。みんな、これからも元気に生きててくださいね。

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