プロフィール

史織

はじめまして!イラストレーターの「たかぎしおり」と申します。

栃木県出身で、東京のNPOで働いたのち7年前に福島へ移住。30代から独立し、現在はフリーランス3年目です。

主な仕事は

●イラスト制作

●Webライティング

●有機野菜の販売

などなど。お客さんは農家がメインで「農家専属クリエイター」として活動させてもらってます。

いっときは農家を目指しましたが、光の速度で挫折……。それでも食をテーマに活動する理由をここでお伝えさせてください。

この暮らしがすきだけど…

わりと冷めた子ども時代

3人兄弟の末っ子として、米を作る農家のもとに生まれました。春になると田植えをして、お昼にはみんなで輪になって食べる。それ実は一年の楽しみ……。なんとものんびりとした田舎の子です(笑)

でも、大きくなるにつれてお米を作るだけで生計を立てる難しさを知ります。そして、いつの頃からか

「米より金」

そんな価値観に染まっていました。

作物を見ても、お金に換算する。(この広さなら、反収がいくらで…とか自動的に考えてしまう)

農業は好きだし田舎暮らしをしたい。けど、経済的に自立しようと思ったら、他の道を選ぼうと思っていました。「とりあえず東京に行けば人生なんとかなるだろう」フワフワとした望みと共に、上京します。

仕事と生活のギャップ

東京は刺激的で楽しかった。
けど、長続きしませんでした。

そして、大学時代に出会ったNPOに心酔し、学業そっちのけで活動にどハマりします。(お父さんお母さんごめんなさい)ある日、NPOから「いっしょに働かない?」と誘われ、流れるままに就職。

優秀な先輩たちに囲まれ、やりがいを感じていました。「とにかく追いつきたい」と必死で。でも、毎日終電まで仕事して、深夜に帰宅してベットに倒れこむ生活。大切な時間だった食事も、三食すべて外食なんてときも。

そんな生活を続けるうちに、だんだんある疑問がわきます。

あれ?

わたし環境団体にいるのに

地球にぜんぜん優しくない……

この生き方で本当にいいのか。じわじわと違和感が広がっていきました。

震災で見えた都会生活のもろさ

転機となったのは、東日本大震災をきっかけとした原発事故。

恥ずかしながら、環境NPOにいながらもエネルギーについては深く考えず生きてきました。だからあの大惨事のとき、ただうろたえるばかり。そして天から、大きな大きな問いを突きつけられた気もしたんです。

このまま東京で生きるのか?

この生き方で後悔しないのか?

直感で「ここで死にたくない」と思ったのを覚えています。思えばずっと人任せだった私に、初めて人生のテーマが与えられた瞬間でした。

怖いからこそ現地へ

震災直後にはボランティアとして宮城県に通わせもらっていました。それでも福島県に行くのは、こわくて。そんなある日、友人がある女性農家を紹介してくれました。衝撃を受けたのが、彼女が同い年ということ。

「あれほどの震災にあっても福島で農業をする覚悟を持てる人って、どんな人だろう……」

怖いけど、会いたい。

2012年、思い切って現地へ。いろいろ繊細な事情もあったので、誰に声をかけることもなく一人で向かいました。

実際に福島をたずねると、いい意味で静寂な世界でした。想像以上にみなさん落ち着いて、淡々と、農業を続けている。

あれほどの災害に見舞われれても、役割をまっとうしている。まさに根を張って生きる姿を見せつけられました。

「もしかして人生のヒントは農業にあるのかも」 そんなことを直感で思いました。

当時の心境

東京でフラフラと、ただ不安を感じながら生き続けることに疑問があった。だからまっすぐ自分の道をゆく農家の姿が、痛いほど眩しかった。

わたしもこんな風に生きたい…!

2014年、わたしは東京の生活を終えて、福島への移住を決断します。

でも農家にはなれなくて。

ここまでは、ドラマチックな展開ですが……。

実際に農業をはじめると、すぐにへこたれてしまいます。想像以上にハードで、ずっと続けるイメージが持てなかったんです。

「家庭菜園でも満足できるかも…」それが本音で。夢はあっという間に消えちゃいました。

その後も5年ほど模索しましたが、商いとして農業を続けることは一旦やめました。

あるお母さんの一言に救われる

イラスト

農家になるのはあきらめたけど、縁のある方から声をかけていただき、農業団体でアルバイトをすることに。

そこで、会員さん向けのフリーペーパーを担当させていただきました。

昔から絵が趣味だったので、気らくに農家が日々感じていることや悩みをイラストの新聞にしてました。ちょっとヘビーな話題(農薬や気候変動など)を紹介することもあったけど、絵だとソフトに伝えやすいんですよね。

2年ほどフリーペーパーを書き続けていたある日、一人の読者さんから反応が届きます。

農薬についてイラストでまとめた新聞を目にしてくれたお母さんが、わざわざ感想を教えてくれたんですね。

このお母さんの言葉に、心を大きく揺さぶられます。

「農薬が気になるけど、なかなか周りに話せなかった。でもこのフリーペーパーのおかげで、友だちに手渡すことができて、おもしろいって喜んでくれた。そこから少しずつ、食の話ができるようになったんです」

今まで趣味でかいていたイラストを、はじめて喜んでもらえた瞬間でした。

そうか

イラストで発信すればいいのか…!

ずっとわからなかった自分の役割。そのヒントを得て、霧が晴れたような気分でした。

それでも覚悟が決まらない

しかし、どこかで覚悟が決まりません。

イラストで食ってくなんてムリ

米より、金でしょ

そんな価値観がこびりついて離れなくて。

次第に人との接し方も冷たくなっていきました。

農家に野菜を発注する時も、できるだけ効率的に、深く関わらないように。

気づくと、ネットさえあれば自宅でも仕事ができるように。一見、自由を手に入れたようにも思えたけど、一人で家に閉じこもる生活で、さらに心が冷めていきました。

せっかく役割が見えてと思ったのに、なんでこんなことしてるんだろう……。

ある茶人の一言で目が覚める

またしてもこんなシーンが。

そんな悶々とした日々を送っていたとき、あるコミュニティに出会います。そのコミュニティとは、歴史の偉人の生き様を学び、自分の人生を整える。というもの。

ここで出会った講師(茶人)の方から、価値観をガラッと変える一言をいただきます。

仕事に対して、覚悟が持てない。お米や農作物なんて、けっきょく金銭的に価値が低い。

そんな正直な胸の内を伝えると…

「そうか。

でもね、あなたがいうお米って

ずっと昔に

神さまがわたしたちに与えてくれたものなんだよ。

みんなが安心して、楽しく、平和に暮らせるように神さまが授けてくれた、とても神聖なものなんだよ」

…これが衝撃で。

頭の上からタライがおっこちてきたのかと思いました。

なにせ、「米=金にならない」というフィルターしか持っていなかったので。

でも。そのコミュニティでは飲食店を何店舗か経営していて、そのどれもが本当に美味しいのです。びっくりするほど手間暇がかけられていて、食べるだけで元気になる。

これほど食材を大切にする人たちに、今まで出会ったことありませんでした。

この人たちから学びたい。

そう思い、大阪に通う日々が始まりました。

進む道がみえた

歴史を学ぶコミュニティが、次第に忘れていた感覚を思い出させてくれました。

おぼろげながら、目の前に1本の道が見えてきたんです。

それは……

どこまでも続く

清らかなお米の道

わたしの生まれ育った国で

先人たちが

何千年もかけて守り抜いてきたもの。

その大きな流れに、自分はすでに包まれていたんだ

この大きな流れに気づいたとき、今まで感じたことのない想いで全身が満たされました。

(満ち足りた黄金色の気持ちとでもいいましょうか……)

人生をかけて進むべき道が、ハッキリしました。

畑と台所をつなぐ人になろう

わたしが情熱を燃やし、歩むべき道はやはり農業にありました。

畑と台所をつな

農家
キムチ名人(左)と会津の農家にはさまれて。

食を通して日本のよさを伝えたい。それが今の目標です。

わたしたちの人生は農業によく似ています。うまくいかない時も、田畑を耕し、たねをまき、じっと待つ。そうすればいつかきっと芽が出て実りを迎えることができます。

だから、しんどい時はここに遊びにきてみてください。

「こんな生き方もあるんだな」と思ってもらえるような空間を目指し、農家の生き様から学んだこと、食を通して生き方を整える発信していきます。

気楽に、一息ついて。そしてまた歩き出せるような。

わたしが子どもの頃に安心したあの田んぼでのひと時を、体験できる空間を用意して、あなたを待っています。

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